あまのじゃくの心理
前回、「人に非難されても、人から嫌われても、どんなに傷ついても、自分に正直であることが大切ですよ」というお話をしました。
ひとつ注意点としては、自分に正直に生きるといっても、傍若無人にふるまうこととは違います。自分も相手も大切にしながら、自分の気持ちに正直になることはできるんです。
そこで今回のテーマですが、「あまのじゃく」の心理について考察したいと思います。「あまのじゃく」とは、自分の本音に素直じゃない人のことです。
自分の本音と違うことをやっていると、人生がどんどん曲がっていくのは、当然のことですよね? 大人なら誰でもわかると思います。
「大人なら」わかる…。そうなんです。「あまのじゃく」は子供がやることであって、いい大人のやることではありません。
でも実際には、大人になっても「あまのじゃく」な性格が直せない人もいます。大事な場面で、本音とは違う選択をした結果、後悔している大人が大勢いるんです。
私が知る限りでは男性に多いですね。あまのじゃくな性格が災いして、一番好きな人と結婚できていない人もいます。
あまのじゃくの原因
なぜ「あまのじゃく」になるのかと言うと、やはり「自己否定」が原因です。
ただし、生まれつき「あまのじゃく」な人と、これまで生きてくる中で後天的に「あまのじゃく」になった人とでは、原因が違うと私は見ています。
生まれつきの「先天的あまのじゃく」に関しては、その人の生まれ持った気質(エネルギーの性質)が大きく影響していますから、よほどのことが無い限り変わらないと思います。
本人が「ありのままの自分」「等身大の自分」を認めない限り、改善点を直せないですからね。あまのじゃくだと、そのスタートラインに立てません。
「後天的あまのじゃく」の場合は、過去の傷ついた体験から「本音を隠したほうが傷つかずに済む」、という間違った学習をしてしまったと思われます。
メリットのある行動を取りたくなるのが人間ですから、そういう選択をしてしまう気持ちも理解できます。でも、傷つくことに価値を見出せない人は、「自分の可能性」を狭めるんじゃないでしょうか。
傷ついたぶん幸せになれる
私は、傷つくことが悪いことだと認識していないんです。以前にもお話ししましたが、リスクを取らない人は幸せを逃します。
傷つくことがコワいからといって本音を否定しても、結果的に後悔して傷つくのは自分。つまりは、同じことです。
傷つくリスクは避けられないとすると、傷ついたとしても「自分に正直に生きる覚悟を持つ」ほうが、人は幸せになれると私は考えています。
スピリチュアル業界で、「”傷つく”という選択をしないと、傷つく体験はできない」とよく言いますけど、体験から「気づき」を得ないかぎり、また同じ体験を繰り返すでしょう。
以前、心理療法の交流分析を学んだ際に、先生からこのようなお話を聞きました。
(体験を通して)傷つく
(今までの自分に)気づく
(新たな自分を)築く
この3段階を通して、私たちは人間的成長をします。スピリチュアル的に言うと、傷つく体験を通してエゴに気づくということです。
せっかく「傷つく現実」を創り出したのですから、その現実を使って、本当の意味で「自分を大事にする」とはどういうことなのかを学ぶほうが「自分のため」ではないでしょうか。
自分を守れば守るほど、人間は「もろく」なります。その反対に、自分をさらけ出すと、傷つかなくなります。自分の傷つきやすさを知ることが、結果的に「自分」を守ることになるんです。
自分が自分であることでしか自分を守れない。私はそう思います。